東京追悼ツーリング記?

東京追悼ツーリング記? その1

某日、東京は恵比寿や汐留に一人で日帰りツーリングに行ってきました。
ツーリングというのもアレなんですが、行ってまいりました。

実は、ぼくが東京でお世話になった方(以降、Aさんと表記しますね。元社長の1人でした。10歳上でした。)が亡くなられたということがありましたので、個人的にひっそりと偲びに行ったという感じでした。
色々と思い出深い場所をまわってきたという感じです。

また、関わりが深かった場所で馴染みの方と会うことができれば、少し話をして帰るという予定で、日帰りで行ってまいりました。

実は、ぼくにはもう一人、当時世話になった元社長(Bさん、7歳上)がいたんですが、Bさんは2019年に癌で亡くなっているんですね。
どう言ったらいいかな、当時、ぼくが勤めてた会社は20社くらいあるグループ会社の一つでした。
AさんとBさんは同じグループ会社同志の繋がりです。
ぼくが入社して最初の1年はBさんが社長、次の1年はAさんが社長、、、という流れでした。

こんなことを言うのもアレなんですが、あの人生の転機からもう16年も経ったのか・・・という感じです。
あの時は辛かったなぁ・・・なんて思いながらまわった地は、また違った形になってたり、見え方が変わってたりしていました。

話が少し飛ぶんですが、ボルトを納車して直後、東京に行ってきました。
2019年3月末頃ですね。
その時は、Aさんが癌を告知されて暫くした時くらいの時でした。

まだバイクの運転に慣れてなくて、よく事故らなかったなぁ・・・と思えるようなツーリングでした。
あれからまだ1年半くらいしか経ってないんですけどね。
少しはバイクに慣れたのかな?なんて思いました。
朝出て夜には帰れた・・・というくらい成長したようです。笑

その辺りはともかくとして。

ボルトで東京に行った時に、全ての想いを伝えて、2020年に入ってすぐに東京に行く予定でしたが、コロナで色々あって物理的に会うことができなくなって、最後の面会は断念したんですね。
まぁ、生きてれば色々ありますよね。

ぼくは、サラリーマンとしての時間より経営者としての時間の方が倍以上長くて、起業してからはゼロからクライアントを開拓してきました。
なので、正直、AさんにもBさんにもお世話になった期間というのは正味1年くらいだったんじゃないかなと思います。
それ以降、Aさんとは普通の知人としての付き合いでした。
Bさんとは、一切会うこともなく、ネットで逝去のことを知り、、、という感じでございました。

ぼくはAさんのこともBさんのことも嫌いでした。笑
でも、AさんもBさんも、ぼくのことは嫌いだったと思います。笑
どうみても、色が違いすぎた感じでした。

そんな中で、とても濃い時間をそこで過ごして今に至るということもあり、恵比寿や汐留は、何となく、忘れられない場所なんですね。
だけど、いつかは、”さよなら”をしなきゃいけないなぁと思ってたんですね。
どう言っていいか分からないけど、いつまでも心の拠り所にするんではなくて、自分の中で”終わった時間”にしなきゃいけないかなぁと思ってたんですね。

今回、その”さよなら”を言いに行くことが出来たかなと思っています。

写真で見る東京追悼ツーリング記

6時20分頃に出発しました。
んで、給油をしてから本格スタートです。
最初の休憩は刈谷パーキングです。
いつも同じ自販機のコーヒーを飲んでる気がします。笑

東京追悼ツーリング記? その2

kawasakiのw800ですね。
カッコイイ!

東京追悼ツーリング記? その3

んで、次に、駿河湾沼津サービスエリアです。
因みに浜松パーキングにもよりました。
休憩はマメにとった感じですね。

東京追悼ツーリング記? その4

駿河湾沼津サービスエリアに前回来た時はまだ工事中でしたが、工事が終了して綺麗なサービスエリアになっていました。
新東名を使うと、富士山をみながら写真を撮ることが出来るサービスエリアがないんですね。汗
この日、富士山は綺麗にくっきり見ることが出来ました。

東京追悼ツーリング記? その5

んで、海老名にもよりました。
お昼ご飯ですね。
お決まりのカツカレーです。笑
東京に着いてから何か食べようかなと思ったけど、駐輪したり荷物のことを考えると、海老名の方が好都合だったので、東京では何も食べませんでした。

東京追悼ツーリング記? その6

東京に入ってから、その足で汐留に向かいました。
用賀で降りてから国道246号で汐留に行きました。
と言うことで、ぼくが新卒の時に勤務してたビル。笑

東京追悼ツーリング記? その7

そこからすぐのところにあるイタリア街。
知らなかったんですが、バイク乗りの間では、結構な映えスポットになってるみたいなんですよね。
ということで、行ってきました。

東京追悼ツーリング記? その8

お約束です。笑

東京追悼ツーリング記? その9

そこから恵比寿に向かいます。
国道246号から広尾に入っていきます。
んで、駐輪です。

東京追悼ツーリング記? その10

駄菓子バー。

東京追悼ツーリング記? その11

神社。

東京追悼ツーリング記? その12

うな徳。

東京追悼ツーリング記? その13

縄のれん。

東京追悼ツーリング記? その14

阿夫利。

東京追悼ツーリング記? その15

恵比寿横丁。

東京追悼ツーリング記? その16

そんなこんなで、思い出のスポットを巡り、知人のいそうなところに寄ってみました。
顔見知り程度の人と会うことが出来、直近のことについて少しだけ話を聞くことが出来ました。
ともあれ、今回の旅の目的を達成したので、すぐに帰路につきます。

帰りは、恵比寿から下道で国道246号に乗り、用賀から東名に乗り帰ります。
やっぱり海老名によって、改めて態勢と気持ちを整えます。

東京追悼ツーリング記? その17

帰り道、”味噌カツ”か”味噌煮込みうどん”を選び、”味噌カツ”を選んで食べて帰ってきました。
おいしかったです。(*´ч`*)オイシイ

東京追悼ツーリング記? その18

んで、お決まりの夜針で終了です。
20時過ぎくらいに針に到着でした。

東京追悼ツーリング記? その19

締め

そんなこんなで無事に目的を完遂して戻ってくることが出来ました。

生きてれば色々ありますよね。
大人になるということは、悲しみを知るということなのかな?という哲学を考える最近です。笑

ともあれ、これで、ぼくは、一旦、東京とは距離を置くことになりそうです。
かつての知人や友人も、その場にはいないようですし。
物理的な話ではなくて、心のあり方ってところですかね。

心境としては、アニメ「るろうに剣心」の、志々雄真実の元を去る瀬田宗次郎みたいな感じかもしれません。

「さようなら、志々雄さん・・・。」

なんちゃって。笑

ともあれ、とても有意義な時間だったかなと思います。
お疲れ様でしたっ!!!

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